横浜のマンションを処分して故郷(津和野)へ帰り、一軒家を借り住み着つく予定であったが、借りた一軒家の居住ベースの段差に悩まされ、将来のことを考えてバリアフリーとエレベーター付きのマンションを探して移転し、現在山口市内に住んでいる。
この時は未だ住み着いた所で仕事をする積りで、山口シルバーセンターパソコン班に参加し、パソコン教室のアシスタントを行った。
環境に馴染めないでいたが、その活動のご縁で良き友に会い、郡部での働き甲斐を見つけ、シルバーセンターを辞め、新たな働き甲斐を企画して進める段取りをしていた。
ところが、新型コロナウイルス蔓延で他人との交流が難しくなり、自宅待機が3年近くも続き、取り巻く環境が変わると共に、自らの気力・体力の弱体化に目覚め、改めて先行きのことを考え直す羽目になった。
自分らで出来る間に、自分らの終末近くの生活を想定した生活環境づくりをしなければ・・・と。